SNSの実名化について思うこと
個人情報と言われるようになって、インターネットでの情報が個人発信出来るようになり、SNSが普及してさらにリテラシーを問われる。
まぁ順序はどうでもいいのだが、ここを整理したいと思い記述。
個人発信が出来るようになると、誰でも行うようになり情報はどんどん増えていく。
その中で果たして何が注目されるのだろう。
別に注目されなくてもいいなんて言って個人情報を投稿している人も大勢いる。
自分がどこにいるのか、何を食べたのか、誰と一緒なのかなど。
非公開設定だから良いなどと思うと、何らかの関連がむずびつき個人を特定する事が可能となる。
もともと、写真を撮ってアルバム化するよりブログにおいて記録をしたほうが良いという感覚の人もいるだろうが、実名でなければ基本紐付かずに安全は保たれる。
しかし、この個人情報の特定・流出を懸念する風潮ではあるが、正直、箸にも棒にもかからないのが現状なのではないだろうか。
ここまで情報過多になってくると自意識過剰ともいうべきものなのかもしれない。
女性は身を守る必要があり、特定されないように細心の注意を払うべきだとは思う。
また巨額な財産を所有している人は、自分が誰と何処にいるなんて投稿してしまったら、空き巣の格好の餌食なのかもしれない。
でも、そもそも個人なんてそんなにみんなは注目していないんじゃないかな。
だって、一般人なんだもん。
有名人は実名または芸名ではあるが、顔を晒して自己を主張する職業である。
一般人がブランディングしたいという思いがあって実名と顔写真を投稿しても、誰も興味が無いのがほとんどである。
要は何を投稿するかということ。
個人名を出しているのであれば、細心の注意を払うべきであり、できるだけ紐付かれるような情報は投稿を控えるべきなのだろうが、自身の責任においてやっている人も多くいる。
この感覚の違いってなんだろう。
目立ったほうが良いというのと、自制した投稿・・・でもみんなに知らせたいという手法の違いで、結果がどのように変わってくるのだろうか。
振りかかるリスクにおいて想定出来る事がSNSリテラシーなのではないかと思う。
みんながやっているからとか、危険だと言われているとかに左右されることなく、ツールとして活用すること。
コソコソ話が好きな人は、投稿をすべきではなく、メッセンジャーアプリやメールで行えばいい。
しかし、そうではなく、みんなに知ってもらいたいというならばどんどん投稿すべきことであり、それが個人を特定するものかどうかなんてのは関係ないだろう。
ただ、投稿に責任をもっているのか・・・・。一番大事なのはここじゃないかな。